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テンプレート:ActorActress 鈴木 敏夫(すずき としお、1948年8月19日 - )は、日本編集者映画プロデューサー株式会社スタジオジブリ代表取締役公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団副理事長。

株式会社徳間書店取締役、株式会社徳間書店スタジオジブリ・カンパニープレジデント、株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部本部長東京大学大学院情報学環特任教授、株式会社スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。

来歴 編集

生い立ち 編集

1948年、愛知県名古屋市にて生まれた[1][2]。上京し、慶應義塾大学文学部社会・心理・教育学科社会学専攻に入学した[2]

徳間書店 編集

1972年徳間書店に入社、『週刊アサヒ芸能』企画部へ配属となる[2]1973年テレビランド』の発行元が徳間書店へ移ったのを機会に自ら希望して『テレビランド』を編集する児童少年編集部へ異動。

児童少年編集部では1978年に『アニメージュ』を創刊。1981年に『アニメージュ』誌面で宮崎駿特集を企画。宮崎と『戦国魔城』と題した映画の企画を練り、徳間書店社長の徳間康快に提案した[3]。その企画が頓挫したのち、1982年には『風の谷のナウシカ』連載開始に尽力[4]。『風の谷のナウシカ』の映画化が決定すると、宮崎の意を受け、プロデューサーを引き受けるよう高畑勲を説得し[5]、以降は高畑とともに『風の谷のナウシカ』の製作を支えた。

『アニメージュ』編集長の肩書きを持つ尾形英夫が児童少年編集部全体を統括するようになると、実質的に『アニメージュ』の編集実務を取り仕切るようになる。後に正式に2代目の『アニメージュ』編集長に就任した。『風の谷のナウシカ』映画化後は徳間書店側の制作委員も務めた。

スタジオジブリ 編集

1989年にスタジオジブリへ移籍して以降、スタジオジブリ全作品の映画プロデューサーを務める。鈴木が移籍した当時、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』・『火垂るの墓』と、興行成績は下降しており『魔女の宅急便』が最後だと言われる状況だった。そこで鈴木は、日本テレビと提携する戦略をとることで、『魔女の宅急便』をヒットさせ、後のスタジオジブリ作品の興行的成功とブランド確立につなげた。メイキングビデオ『もののけ姫はこうして生まれた。』では、爆発的なヒットを仕掛けた鈴木の宣伝プロデューサーとしての一面が見られる。その一方『ホーホケキョ となりの山田くん』や『イノセンス』において興行目標を達成する事はできず、ディズニーとの契約上の条件を反故する結果となった。

鈴木のプロデュース作品には本業の声優を起用せず、代わりに俳優タレントで固める傾向がある。また、鈴木本人は、自らを編集者型のプロデューサーであるとしている[6]

1997年、スタジオジブリが徳間書店に吸収合併され、徳間書店の社内カンパニーとして「スタジオジブリ・カンパニー」が発足すると、同カンパニーのプレジデントに就任した。1999年、徳間書店が事業本部制を導入し、「スタジオジブリ事業本部」が設立されると、本部長に就任した。2005年、スタジオジブリが徳間書店から再独立した際には、代表取締役社長に就任した。2008年2月1日をもってスタジオジブリ代表取締役社長を退任した。ただし、その後も代表権のある取締役を務めている。

プロデューサー以外には、『耳をすませば』、『もののけ姫』にも端役で出演。『ハウルの動く城』では監督宮崎に代わり公式ポスターの原画を、『ゲド戦記』では題字を書いている。押井守の実写映画では短編『KILLERS キラーズ』で「悪徳アニメプロデューサー」役、2006年公開の『立喰師列伝』では立喰師役の一人として出演している(これは本人の懇願によって実現した)。最近ではDVDノンちゃん雲に乗る』の中で、大橋のぞみに付く二枚目風運転手役で出演しその横顔を決めている。2004年には東京大学大学院の情報学環にて特任教授に就任し、「コンテンツ創造プログラム」などを講じた[7]

対人関係 編集

高畑勲
アニメーション監督の高畑勲とは、『アニメージュ』の取材を通じて知り合った。プロデューサーの役割や映画の作り方について、鈴木は高畑から学んだと語っている。高畑が『風の谷のナウシカ』で初めてプロデューサーを務めた際、鈴木も高畑とともに映画製作に携わっていた。高畑が勉強しながら手探りでプロデューサーを務める様を見て、鈴木は「非常に具体的かつ分かりやすくアニメーション映画の作り方を学べた」[8]としている。
宮崎駿と鈴木が企画した『風の谷のナウシカ』の映画化が決定すると、宮崎の要望に基づき、鈴木は高畑勲にプロデューサーを引き受けるよう要請した[5]。高畑が慎重な姿勢を崩さないため、鈴木は高畑の自宅に日参し1か月に渡って延々と説得を繰り返した[5]。ところが、高畑は1か月かけて日本におけるプロデューサーの役割を分析しており、それを大学ノート1冊を費やして『プロデューサーとは何か?』と題した論文に纏め、「だから僕はプロデューサーに向いていない」[5]と主張した。呆れた鈴木が「理屈ではそうかもしれないですけれど、高畑さん、あなたは宮崎さんの友人でしょ。その友人が困っているんですよ。そんなときに、あなたは力を貸そうとしないんですか」[5]と声を荒げたため、高畑は『風の谷のナウシカ』のプロデューサーに就任することを諒承した。しかし、アニメーション制作の拠点をどうするのか鈴木に目算がなかったため、高畑から「何を作るか、どうやって作るか。それを全部、宮崎駿におんぶに抱っこか?」[9]と叱責された。以降は、高畑と鈴木が2人で制作拠点となるアニメーションスタジオの選定や人材の確保に奔走した[9]。『風の谷のナウシカ』製作当時を振り返り、鈴木は「僕はプロデューサーという仕事を、このときプロデューサー初体験だった高畑さんから学んでいくんです」[9]と述懐している。

人物 編集

スタジオジブリは日本テレビ読売新聞社系列のテレビ局)との縁が深いが、鈴木自身は大の中日ドラゴンズファンである。家では朝日新聞東京中日スポーツを購読し、なかでも東京中日スポーツは創刊時より読み続けている。 選手では落合博満のファンで、自身のラジオ番組にゲスト出演してもらったことがある。1991年には宮崎駿に落合博満と竜をモデルにしたキャラクターをデザインしてもらっている。2006年に中日ドラゴンズ公式ファンクラブが創設された際、マスコットとして採用され、ガブリと名付けられた。自身もクラブより名誉会員1号の称号を贈られた。

実の娘の鈴木麻実子は、『耳をすませば』の主題歌の和訳や『千と千尋の神隠し』の楽曲「ふたたび」の作詞を手がけている。

略歴 編集

  • 1948年 - 愛知県名古屋市にて誕生。
  • 1967年 - 慶應義塾大学文学部入学。
  • 1972年 - 徳間書店入社。
  • 1982年 - 徳間書店『月刊アニメージュ』副編集長。
  • 1986年 - 徳間書店『月刊アニメージュ』編集長。
  • 1989年 - 徳間書店退社。
  • 1989年 - スタジオジブリ入社。
  • 1989年 - スタジオジブリ製作部部長。
  • 1990年 - スタジオジブリ取締役。
  • 1997年 - 徳間書店スタジオジブリ・カンパニープレジデント。
  • 1999年 - 徳間書店スタジオジブリ事業本部本部長。
  • 2004年 - 東京大学大学院情報学環特任教授。
  • 2004年 - スタジオジブリ社長。
  • 2008年 - スタジオジブリ取締役。

賞歴 編集

  • 1992年 - 第11回藤本賞特別賞。
  • 1997年 - 第14回山路ふみ子文化賞。
  • 1998年 - 第17回藤本賞。
  • 2002年 - AMD Award / Digital Contents of the Year '01 特別賞。
  • 2002年 - デジタルコンテンツグランプリ2001 DCAj会長賞。
  • 2002年 - 2002年度エランドール賞プロデューサー賞。
  • 2002年 - 第21回藤本賞。
  • 2002年 - 第1回日本イノベーター大賞。
  • 2007年 - 第2回渡辺晋賞。

作品 編集

映画 編集

テレビ 編集

CM 編集

出演 編集

映画 編集

テレビ 編集

ラジオ 編集

  • 鈴木敏夫のジブリ汗まみれ(TOKYO FM 2007年10月7日~ 毎週日曜23:01 - 23:30、JFN38局ネット)

OV 編集

  • 「もののけ姫」はこうして生まれた。(1998年)
  • ラセターさん、ありがとう(2003年)
  • ポニョはこうして生まれた。~宮崎駿の思考過程~(2009年)

著書 編集

脚注 編集

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  1. 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、10頁。
  2. 2.0 2.1 2.2 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、246頁。
  3. 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、64頁。
  4. 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、66頁。
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、72頁。
  6. 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、60頁。
  7. 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、247頁。
  8. 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、78頁。
  9. 9.0 9.1 9.2 鈴木敏夫『映画道楽』ぴあ2005年、73頁。

関連項目 編集

外部リンク 編集

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